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日本の技術力の発展の道

三輪晴治(高6期)

  4月27日に日本生産性本部の「技術経営トップフォーラム」が開催され、いろいろの人の講演がありました。
その中でご存知と思いますが、日本技術の久々の快挙である探査機「はやぶさ」による小惑星「イトカワ」の探査とサンプル採集の苦労話を、この責任者である宇宙航空研究機構の「川口コーチ」と呼ばれている川口淳一郎教授から「小惑星探査機『はやぶさ』の成功要因と日本の技術力」という題で話がありました。
  昨年「イトカワ」のニュースが報道され、殻を被った歪なピーナッツのような、あるいはラッコが腹を出して寝そべっているような格好をしている小さな惑星「イトカワ」の写真を目にしたとき、これよりはずっと大きい地球も似たようなもので、そこで生物が生まれ、人間が生きているということは大変な奇跡的なことであると感じ、今生きていることを大切にしなければならないとそのとき感じたことを思い出しました。

  ご存知のように、2003年5月に探索ロケット「はやぶさ」は打ち上げられ、2005年9月に小惑星「イトカワ」に到着、それから数々の危機に遭遇するが、着陸をしなおして何とか計画された調査、観測、サンプル採集というタスクをこなして、2010年6月13日にオーストラリアの砂漠に無事帰還した。一時行方不明になって、3年間も通信が途絶えてしまったり、もうこれは失敗ではという声もあったが、このチームの逞しい挑戦力で、7年間かけて60億キロメートルの長い旅をして、その目的を全うし、「イトカワ」のサンプルを入れたカプセルが帰還した。コンセプトを考え初めてから25年かかっているということです。その前の週、川口氏はアメリカで「イトカワ」から持ち帰ったサンプル物質の一部分析した結果を発表し、大きな反響を呼んだという。これは前人未踏の快挙で、宇宙開発のリーダーであるアメリカも大変驚き、この日本の成果を悔しがっているようです。事業仕分けの誰かが言ったように、「2番でよいのでは」ということでは「はやぶさ」のようなブレークスルーは決して出来なかった。

高い目標をたてる


  このプロジェクトの検討を始めたとき、日本がいまさら、すでにアメリカがやったように惑星のそばを弾道的に通過するのでは、何の意味も無い。この開発チームは天邪鬼の塊で、人のやらないことに挑戦するという気概が旺盛であったという。これまで世界でアプローチした惑星は大きさが数百キロメーターのものだったが、しかしこのプロジェクトは、大きさが僅か500メートルという小さな小惑星に探査機「はやぶさ」を着陸させて、その小惑星の物質のサンプルを採集し、それからその小惑星が自力で飛び立ち、いろいろの観測をしながら、地球に帰還するという壮大なタスクである。具体的にはイトカワは長さ534m、高さ294m、幅209mという小さい惑星。地球から3億キロのところにある。まだ世界ではどこの国もこの小惑星「イトカワ」にアプローチしていない。地球のように物質が変成、分化している惑星は、その中心に重いものが集まり、軽いものが表面に層をなして存在する。そのような表面の物質を取っても全体の物質の状況は分からない。「イトカワ」のようにまだ変成していない原始太陽系の状態をとどめる物質は、地球などの生い立ちを探求する有力な手がかりになる。物質のサンプル収集という意味では、これまでなされたのは月だけである。勿論月はすでに変成してしまっている。こうした前人未到の極めて難しい仕事をしようというものである。これまでの日本の技術のチャレンジは、先進国で試みられたものをより精度高く、歩留まりの高いものにする分野で行われたが、このはやぶさのプロジェクトは、誰もやらない難しいタスクに敢然と挑戦したという意味では大変意義がある。

このプロジェクトの難しさ

  これまで世界で惑星の探査ロケットが多く打ち上げられ、多くのものが失敗しているも。地球上での仕事ではなく、一旦宇宙にでた探査機に何か事故が起きても、それ自体をハード的に人間が修理することはできない。つまりあとで起こる事故の解決のためのハード的な仕組みを付け加えることはできないという厳しい制約がある。事故が起きた場合は、リモート・コントロールでそれを制御し、解決しなければならない。しかもこの小惑星「イトカワ」にチャレンジすることにたいして、当時アメリカはそんなことは出来るわけがないといっていたそうである。アメリカ人は、「これはできない」とはあまり言わない国民であるが、それほどこの「はやぶさ」の目標設定が、不可能に近いものであったということであろう。
  宇宙衛星のような単純な受信、送信という仕事ではなく、動力を使うために途中で地球から燃料を追加供給しないで、着地、サンプル採集、離陸という厳しし作業をしながら7年間も自力で行動するようなシステムを作ることは大変なことである。システム内部の故障だけではなく、外界の厳しい条件の変化でのリスクもある。つまり、このプロジェクトの困難さということは、大宇宙のなかで、ほんの500メートルの大きさのイトカワ惑星を見つけて、その数10メートルの幅の「ミューズの海」に着地させ、そこで瞬間的にサンプルを採集して、またすぐ離陸して帰還するという大変難しい仕事である。コンピュータを駆動したり、地球との通信のための動力を太陽光発電にたよるのであるが、その場所は太陽光が極めて弱く、微弱電流しか得られない。設計の想定論理通りに動く場合でも、地球からの運用室からの指令と探査機の動きの時間的ズレは、コントロールを大変困難にした。交信にも片道30分以上かかる。場合によっては、「はやぶさ」が情報を発信して46日目に受信することもあり、大変気の遠くなるようなコントロールである。そして実際には、いろいろの事故が起こった。姿勢制御スラスタの故障、燃料の漏洩、目的物「イトカワ」の認識の誤り、リアクションホイールの不具合、イオンエンジン、中和器の故障などが次々と起こった。それをチームはそれぞれ苦闘して解決し、乗り切った。想定外の事故であるなどと言ってはならない。

最悪のリスクにも備える:リスク・マネジメント

  どんなものでもそうであるが、特にこのプロジェクトでは、あらゆる危機的な状況をあらかじめ想定し、そのリスクに対するソリューションを準備しておくことを最初から重要な課題とした。数千種類のリスク、危機のケース、シナリオを想定し、そのソリューションを用意する。これに一番エネルギーを注いだようである。しかしそれでも完全にリスクが想定できるわけではない。それ以外のリスクについては実際に「はやぶさ」が動き始めていろいろの新しいリスクに遭遇する場合の対処の仕方を準備しておくことである。これが「はやぶさ」のプロジェクトの一番重要な技術のようである。「はやぶさ」は自律的に判断して行動を起こすことが出来るプログラムを内蔵しているが、これが場合によっては、地上からの指令の遅れで、かえって事故になることもある。こうしたことも想定のうちでなければならない。

 日本の普通の企業のやり方は、ある困難なプロジェクトにたいして、一応検討チームをつくり最悪の事態のケースから最もラッキーな事態のいろいろのケースを出させるが、最終的には、その中間の狭い範囲の事態に特定し、その範囲で対策を講じる。それ以外の極端な事態が起こらないという前提のもとに、プロジェクトの設計をする。しかし「その時点で予想できる最悪の事態が現実になるものとして」プロジェクトの設計をしなければならない。失敗しているケースはこの原因が多い。福島の原子力発電は「5メートル以上の津波はこない」という上層部での決定で、そのシステムの設計、施工をしたという。しかし5メートル以上の津波がこないことを誰も補償しない。川口氏も、少し皮肉をこめて、日本の原子力発電もこのようなリスク・マネジメントの仕組みをもたなくてはならないのではと言っていた。

 しかし「はやぶさ」のようなリスクのシナリオを徹底的に検討しそれを準備できたのは、アメリカ人のようなデジタイル人間ではなかなか出来なかったのではないか。つまりこれはサイエンスという領域ではなく、アナログの技術のノーハウによる成果で、日本的なものではないかと思う。ここに日本の技術の生きる道がある。しかも、デジタイル人間には、ある程度失敗が続くと、このプロジェクトの有効性の見切りをつけて、潔く撤退する。日本の技術者のアナログ感覚はまだ重要だということである。「はやぶさ」を生命を持ったもの、人格をもったものとして対応しているそのチームの姿が、あれだけの危機の状況をなんとか諦めないで、あらゆる手段を尽くして目的を果たし生還させたのであろう。
川口氏によると、アメリカは次の「はやぶさ2」での運用室にアメリカの担当者をオブザーブさせて欲しいとの申し入れを受けたということである。アメリカはそのノーハウが欲しいのである。

商品、機械装置システムの複雑化と危険性

  今日の人間社会では、人間の科学・技術活動の産物として大変複雑化した商品、機械装置システムが動いている。その複雑化は、20世紀の半ばから開発された半導体とソフトがメカニカルの装置に組み込まれて以来、益々進み、しかも商品、機械装置そして人間がIT技術により互いにシステムとして連結されてきて、複雑度を更に強めている。こうなると人間が操縦するのが困難になるほど、人間の意志を越えて複雑度がますますエスカレートしてきているように思える。もともとこの世の中のもの森羅万象はすべて繋がっているもので、東洋の宗教はそれを教えているものである。しかしこの複雑な商品、機械装置システムの誤動作の起こる確率は、システムが複雑になればなるほど高くなる。
  これが近年の商品、機械装置システムによる事故、災害の拡大となって現れている。暖房機による酸欠による死亡事故、エレベーター、回転ドアーによる人身事故、自動車の欠陥による事故、自動車交通事故、鉄道の大型事故、工場の災害事故など。そして最近の一連の原子力発電の事故に加え、大地震、津波という自然災害と合わさった今回の福島原子力発電の事故。こうした惨事は、人間の産物である商品、機械設備システムの複雑化で、ますます深刻なものになろうとしている。
しかし経済の発展をドライブする「主導産業」は、ロケットのように大きな市場を創造し、拡大し、経済効果は大きいが、多くの場合、そこに大きなリスクとして、そのものが「暴発」する性質を持っているものである。ウラン・プルトニューム原子力発電産業は、言うまでもなくメルトダウウンという危険性をはらんでいる。航空機産業も墜落という危険性と背中を接している。遺伝子操作技術も、大きな期待できる成果があると同時に、まだ人間では考えつかない大きな危険をはらんでいる。証券市場のデリバティブはそのバブルの崩壊という大きなリスクが依然として存在する。
  いま電力、通信を含めて、スマートグリッドというコンセプトで、すべてを繋ぎ、社会全体の動きを効率よいものにしようとしている。このようなシステム化が進むと、その効果はきわめて大きいが、それと同時に危機、リスクも増大することを考えなければならない。これは「奔馬と御者」という概念で捉える必要がある。大人しいロバではなく、荒野の荒馬を乗りこなす腕の良い御者がいて初めて大きな荒馬のエネルギーを引出すことが出来る。しかしその荒馬を御すことができなければ御者は打ち砕かれて死する。

「はやぶさ」の成功の秘訣

  いろいろの資料で「はやぶさ」の苦労を見て気づいたことがある。運用室のチームの動きとはやぶさとの交信の姿を見ると、このチームは「はやぶさ」にあたかも生命があり、人格があるようなものとして交信し、コミュニケートしていたような気がする。日本の工業用のロボットには人の名前が付けられており、あたかもロボットに生命があるもののようにして対応している。ロケットのようなサイエンスは、それが本当の生きてくるには、アナログ的な人間の生命、感情のサポートが必要であるということである。リスク・マネジメントもあるが、この「はやぶさ」の成功には、どうもシステムに生命を感じることが重要なファクターであるというように感じた。これはデジタル的な感覚ではやれないことである。つまり「はやぶさ」の設計のときに、あたかもそれに「生命力、人格」のようなものがあるとして作り上げ、運用室からのチームは生命と人格をもつ「はやぶさ」と向き合い、働きあっているような気がした。これが「はやぶさ」の成功であり、これからのますます複雑化する巨大プロジェクトにたいする必要な人間の心構えであると考える。
  日本の工業用ロボットには「ももえちゃん」などの人の名前がついている。これは単なるお遊びではなく、人格があるような気持ちで設計され、運用されているので旨く行っているのではないか。単なる人工の機械としてであれば、ロボットもその動きは限られてしまい、すぐその寿命はなくなる。GMも過去膨大なお金を投じてサブコンパクトカーのアセンブリー用のロボットを開発したが、失敗している。これにたいしてGMはロボットに反撃されたのだと当時私は言ったことがある。
サイエンスはデジタル的なところがあるが、大きなサイエンスが生きて、成功するには、アナログ的なもの、そして人間の心が必要であるということである。

 中国宋代の禅僧、廓庵の有名な「十牛図」がある。大きな荒れ狂う野牛を探そうと出かけ、それを見つけ、格闘し、牛を家に連れてくるが、なかなか慣れない。遂に牛と心を一つにして自然に帰り、牛と一体になる悟りを示したものである。奔馬と御者もこうした禅宗の心に基づかなければならない。「はやぶさ」も原子力発電も、初めはいわば荒れ狂う野牛であり、これが人間と一体になり、大きな動きになる必要がある。それには「はやぶさ」も原子力発電もそれぞれ「生命」を持ったものであり、人間と心が一体化するとこにより、大きな仕事が成就されるのであろう。
  今福島の原子力発電事故では、原子力発電装置と戦うような姿勢で人は動いているが、一方的にコントロールしようとしては、機械は益々荒れ狂う。原子力発電にも生命力があるものとして人間が向かい合うとことが必要である。これは原子力発電のシステムを設計するときにそのような心を持ってやらなければならないということである。そうすれば原子炉の設計、配管、コントロールの仕組みも、今のものとはかなり違ったものになっていたのではと思う。もともと福島原発の原子炉の基本設計はアメリカでなされたもので、それに携わったエンジニアが、すでにその設計に欠陥があったと証言しているようである。日本が再度こうした心構えで設計をしなおさなければならないのであろう。この事はデジタイル人間の西洋人には分からないであろう。これこそが東洋思想の日本人がまっとうするものである。

「原子力」と「遺伝子」そして「証券市場におけるデリバティブ」は人間がコントロールできる段階にきているのか?
  しかしまだ疑問がのこる。そうした「リスク・マネジメント」、「システムの生命力・心」を考慮しても、ウラン・プルトニューム原子力を扱うこと、人間および生物の遺伝子を操作すること、そして資本主義の歴史以来市場を混乱させている証券市場におけるデリバティブ、この三つについて、今日の人間はそれをうまく御す力を十分持っているのであろうか?ウラン・プルトニューム原子力発電にはこのリスク・マネジメントを本格的にやっても、累積的に多くなってくる使用済み燃料をどうするか、これが解決されていない。「遺伝子操作」もそうである。また人間の煩悩の現れである証券市場のデリバティブのバブルのコントロールをどうするか大きな課題を人間は背負っている。応急処置ではなく、再度謙虚に、この問題を掘り下げて、具体的な対策を作り上げなければならないときに来ている。こうした巨大複合体がこれからいろいろとたち現れるであろうが、われわれ人間はそれに旨く対応しなければならない。欧米の一神教はこの世界でいろいろの局面で壁にぶち当たっているといわれている。今や、一段上の多神教が求められるのではないか。


 
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