中学、高校時代はバスケ少年だった。高校では1年からレギュラー。2年の後半はキャプテンを務めた。入部の動機はいたって簡単。友人に「モテるよ」言われて。
ところが、高校1の冬に第五腰椎分離症を患い手術を受け、二ヶ月間半学校を休んだ。リハビリは歩くことから始めた。勉強も追いつかなければならない、バスケでは、いままで通りのプレーもできるように必死になった。だが、逆境をものともせずに一生懸命練習する姿を見て、部員たちは酒井さんをキャプテンに推薦し、バックアップした。「高校3年間は、人間として成長できた時期だと思う」。いまだに、その頃の経験・体験は心に中に大事にしまってある。「仕事でも、何か障害があってもくじけずに、ポジティブに捉えていくのは、その経験が生きているのかな」。
大学進学のため上京。東京という日本の中心に来ていろんな事をやりたかった。知らないことはないぐらい遊んでやろうと意気込んだ。昔で言うディスコにも毎週のように通っていた。サーフィンもした、スキーもやった、テニスもやった。その頃の遊びが、今の発想力に生きている。仕事で80年代のコンピを作る時も、当時本気で遊んでいたから、その時代にあった選曲などお手のものだ。76〜85年に隆盛を極めたAOR(※2)を束ねた『Melodies ‐The Best of AOR‐』や80年代のヒット曲を集めた『ベストヒット80’s』は業界を唸らせた。その時代を完全に読み取った選曲やマーケット戦略により、これらもヒットアルバムとなった。
酒井さんは、「音楽は人の心を豊かにします。一生、人々が喜ぶものを創っていきたいし、創る作品は完成度も高いものにしたい。人が楽しめる音楽をどんどん届けていきたい。みんなを幸せにしたいから。クリエイターは一方的な自己満足でなく、人々が喜ぶものを創らないといけない。人が喜んでくれると売れる、売れることでアーティストも次の作品へのモチベーションも高まるんです。売れる音楽がイイ音楽だと思うんです」。文字通り音を楽しみながらも、売ることに執着していくと抱負を述べた。
インタビューの最後には、「これからも、大津高校の卒業生が頑張っているよと、いろんな形で伝えていけたらいいな」と笑顔で語った。
※2 アダルト・オリエンテッド・ロック(大人のためのロック)」という意味で用いられる。ロックといっても、実際はバラード・ポップスである場合が多い。
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