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人物紹介 『輝き』 第3回目は、音楽業界のらつ腕プロデューサーとして、各方面で注目を浴びている酒井善貴さんにスポットライトを当てました。酒井さんの手がける作品は、必ずと言ってもよいほど大ヒットを記録。マスコミからも一目置かれている時の人に、あのR35成功のプロセス、現在の仕事、高校時代の事を語っていただきました。

もう一度、妻を口説こう。

 この斬新なキャッチフレーズに煽られたかのように、120万枚の驚異的な売り上げを記録したアルバム『R35』。文字通り、35歳以上を対象に選曲したコンピレーション・アルバム(以下コンピ※1)だ。収録曲を見ると、SAY YES(CHAGE and ASKA)、何も言えなくて…夏(JAYWALK)など、耳に馴染んだ懐かしの曲が並ぶ。この一枚の中には、数合わせの曲、いわゆる埋め合わせ的なものがなく、全16曲全てがメイン曲と言っても過言ではない。なるほど、大ヒットにも納得がいく。

 このアルバムの仕掛け人が、大津高校OBの酒井善貴さん(高33期)。大手OA機器メーカーで会得した正しいマーケティング知識、アパレルメーカーでの実績を引っ下げて、(株)ワーナーミュージック・ジャパンに入社。過去の実績と入社後の取り組みを理論的、かつ具体的に熱く語り、応募500人中1人のみ採用という難関を見事に突破した。

  ワーナーでは、まず営業を担当し、CDショップが何を望んでいるかを徹底的にリサーチした。1999年、プロデューサーとして制作部に移動。手始めに、名盤とされたアナログ盤をCD化することから手がけた。
  そして2001年、本格的にコンピ制作に携わることになる。当時、コンピ市場はソニーと東芝EMIが独占状態。海外のヘッドオフィス上層部より「ワーナーとして、何かできないか」と通達があった。役員会で誰がやるか募った際、自ら名乗りをあげた。

  まず洋楽のラブソングを収録した『ラヴ・ライツ』を立ち上げ、いきなり56万枚を売り上げる大ヒットを記録!ジャンルに特化したコンピとしては、初めて50万枚以上のセールスをあげ、逆に他社のターゲットとなる。『ラヴ・ライツ』以降、ディスコやAORコンピを次々と大ヒットさせ、洋楽コンピ市場では敵なしの快進撃を続けた。
  2007年、はじめてのJ―POPコンピ『R35』をリリース。企画を考え始めてから、実に3年越しの制作期間を経て『R35』は発売された。リリースのタイミングは、マーケットの動向や時代背景などの潮目を見て、同年4月25日と決めた。

  当初はもっと男っぽさを前面に出したものにしようと考えていたが、男性というキ−ワードで絞り込んでしまうと、ターゲットとなるマーケットは半分に縮小されてしまう。そこで、男性が歌うラブソング…男性が女性に向けたメッセージという切り口で選曲を始めた。コンセプトは「大人のための、大人がドキドキするアルバム」。
  当時、コンピには、収録曲の半分以上、自社の音源が収録されていないと発売できないという暗黙に囁かれていた業界の常識があった。

  また、「J−POPのコンピは売れない」「90年代のコンピは売れない」という2つ定説めいたものがあった。当時、営業サイドはグロスで3万枚ぐらいしか売れないだろうと読んだ。酒井さんは「このアルバムが売れなければ、音楽業界自体が終わってしまう」と考えた。『R35』に収録された16曲はそれぞれのシングル盤売上の合計が2098万枚、しかも90年代前半のトレンディドラマの主題歌を網羅したこの企画をユーザーが買わないわけがない。酒井さんは、90年代という時代とラブソングという音楽性を統一したこのコンピを最低でも最初の3カ月で35万枚売る自信があった。

  音楽業界の将来も考え営業の読みを打破すべく、海外のヘッドオフィスに35万枚を売り上げる根拠と、最初の一ヶ月の売上目標を15万枚売上とコミットメントして多額の宣伝費を勝ち取った。ワーナーヘッドオフィス本国に掛け合った際に「ヨシキが売れるというなら絶対売れるはずだ。その宣伝費で足りるのか?」と言われた。酒井さん曰く、「日本人は常識として考えすぎて型にあてはめたがる傾向があるが、外国人はビジネスに対してポジティブで、やるか、やらないか、いたってシンプル」と笑顔を見せる。(写真=R35ジャケット)

  20万枚を突破した時にライブをやろうと決めた。TV番組、新聞などを巻き込みながら次々と話題をつくっていった。60万枚を超えたときに、『ライブR35』の企画を創り上げ、80万枚突破したときに実現させた。そこから更に40万枚以上売れ、120万枚に。あらゆる宣伝戦略を展開し、日本で一番売れているコンピとなった。「売れているのをただ眺めているのではなく、常に売れるように仕掛けていった」(酒井さん)。必然的に、酒井さん自身も雑誌やテレビといったメディアへの露出も多くなった。

※1 アーティスト、または複数のアーティストの楽曲を特定の方針に基づいて編集したアルバムのこと。


新天地で早くも時の人に
今後はアーティストの発掘も


酒井さんは昨年4月にワーナーミュージックから、レンタル業界のNo.1であるTSUTAYAを展開している事で知られるカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社に移籍。シニア・バイス・プレジデントとして、これまでと変わらず、らつ腕を振るっている。酒井さんは、ワーナー時代もそうだったが、企画から、制作、メディアへの広告掲載やCM制作まで、全ての作業を同時に一人でやってのける。「人に任せた瞬間、人の解釈が入って、自分のものではなくなってしまうので、最初から最後まで全て一人で創り上げます。クリエイターは自分の作品の全てに責任を持つべきだと思っています」 (酒井さん)。ワーナー時代も創り上げている企画の内容は部内社員でさえも知らされず、予算を握っている海外のヘッドオフィス以外、誰にも教えない。発売決定会議で、やっと明らかになるという。そのスタイルは今も、変わらない。人に伝えると、企画が独り歩きしたり、競合各社に漏れてしまうからだ。

つい最近では、豪華海外アーティストのベスト盤を、一枚999円で全60タイトルを一気に発売し、洋楽ファンを狂喜させた。酒井さんによると「TSUTAYAプライベートブランドの第一弾となる記念すべき企画」との事。今後はアーティストのプロデュースも含めて音楽業界をあっと言わせる活動していく予定だ。
同時に、TSUTAYA自体のブランディングにも取り組む。レンタルDVDや販売を展開している店舗ではなく、みんなの夢や希望を提案している事を一人でも多くの方に知ってもらいたい。TSUTAYAのCMもどんどん変えていかなければならないと考え、コンセプトを明確にし、カッコイイCMに改革した。変革後のCMは有名な女優からも好評で、「このCMを創った人が手がけるなら是非出演したい」と言ってもらえたこともあるとか。テレビスポットにしても酒井さんが絵コンテを書き、演出を行い、タレントの起用も自身が考える。


 TSUTAYAと言えば会員証でもあるTカード。九州ではTポイントがどこで使えるのか、認知度が低いとのデータが出た。そこで九州朝日放送の人気番組『ドォーモ』とタッグを組む。クリエイター集まれという趣旨の企画を立案し、「酒井が創ったTポイントのCMを超える作品を作って下さい!」と地元のクリエイター訴えかけた。寄せられた力作の数々の中から、酒井さんが選ぶという企画だ。そのリアルな模様は3日間で計50分間にわたって番組で取り上げられ、九州全域に放送された。これをCM広告に換算すると合計で約1億円に値するとのこと。また、テレビ7だけではなく、FM福岡、RKB、西日本新聞を使った「メディアミックス」という幅広い戦略で攻めた。例えば、Tポイント=ガスト、Tポイント=エネオスといった意識が50%ぐらいだったのを、約62%まで押し上げた。知名度を10%以上も上乗せするには、通常だと7500万円以上の予算がかかるが、酒井さんはこれをタダでやってのけた。(写真=売れる仕組みづくりを図説する酒井さん)

くじけず、ひたすらポジティブに!!
高校時代の経験が今に生きる


  中学、高校時代はバスケ少年だった。高校では1年からレギュラー。2年の後半はキャプテンを務めた。入部の動機はいたって簡単。友人に「モテるよ」言われて。
ところが、高校1の冬に第五腰椎分離症を患い手術を受け、二ヶ月間半学校を休んだ。リハビリは歩くことから始めた。勉強も追いつかなければならない、バスケでは、いままで通りのプレーもできるように必死になった。だが、逆境をものともせずに一生懸命練習する姿を見て、部員たちは酒井さんをキャプテンに推薦し、バックアップした。「高校3年間は、人間として成長できた時期だと思う」。いまだに、その頃の経験・体験は心に中に大事にしまってある。「仕事でも、何か障害があってもくじけずに、ポジティブに捉えていくのは、その経験が生きているのかな」。

 大学進学のため上京。東京という日本の中心に来ていろんな事をやりたかった。知らないことはないぐらい遊んでやろうと意気込んだ。昔で言うディスコにも毎週のように通っていた。サーフィンもした、スキーもやった、テニスもやった。その頃の遊びが、今の発想力に生きている。仕事で80年代のコンピを作る時も、当時本気で遊んでいたから、その時代にあった選曲などお手のものだ。76〜85年に隆盛を極めたAOR(※2)を束ねた『Melodies ‐The Best of AOR‐』や80年代のヒット曲を集めた『ベストヒット80’s』は業界を唸らせた。その時代を完全に読み取った選曲やマーケット戦略により、これらもヒットアルバムとなった。
 
  酒井さんは、「音楽は人の心を豊かにします。一生、人々が喜ぶものを創っていきたいし、創る作品は完成度も高いものにしたい。人が楽しめる音楽をどんどん届けていきたい。みんなを幸せにしたいから。クリエイターは一方的な自己満足でなく、人々が喜ぶものを創らないといけない。人が喜んでくれると売れる、売れることでアーティストも次の作品へのモチベーションも高まるんです。売れる音楽がイイ音楽だと思うんです」。文字通り音を楽しみながらも、売ることに執着していくと抱負を述べた。
  インタビューの最後には、「これからも、大津高校の卒業生が頑張っているよと、いろんな形で伝えていけたらいいな」と笑顔で語った。

※2 アダルト・オリエンテッド・ロック(大人のためのロック)」という意味で用いられる。ロックといっても、実際はバラード・ポップスである場合が多い。

 

 
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